2012年 カタール ドーハ国際ブックフェアーの入り口
「青木くんさ、今年の12月空いていない?」
世界一周の旅から帰った年の2012年8月、櫻井孝昌さんから、突然こんな言葉をかけられました。
大学の授業がぎっしり詰まっていたのですが「空いていますよ!なにかあるんですか?」と返すと
「カタールって行った?ドーハで今年国際ブックフェアーがあって、プロデューサーとして入ることになったんだよね。青木くん一緒に行かない?2週間くらい仕事手伝ってほしい。」と言われました。
櫻井孝昌さんは僕の師匠の1人。国際日本学部のクリエータービジネス論でゲスト講師できていて
「日本の文化は世界で流行っているけれど、日本人がそこでビジネスできていない。」
この言葉を聞かせてくれた方です。櫻井さんは編集者であり、プロデューサー。外務省や大使を巻き込んで、世界中を飛び回りながら面白いプロジェクトを作っていってる。いわば、自分のこれからの軸のきっかけをくれた方です。
旅から返ってきた後に、杉山学長と櫻井さんに帰国の報告に言って、そのまま飲みに行くことになり、そこから目をかけてくれるようになったんですね。
カタールの誘いはこれ以上ないチャンスだと思ったので、「まだよくわかっていないのですが、カタールいきます!何でもやります!」といったのを覚えています。
ドーハ国際ブックフェアーは、名前の通り本の祭典です。世界中の国の本がビックサイトのような広い会場で展示されます。ちょうど2012年はカタールと日本の国交40週年で、日本がゲスト国として大きくとりあげられたんですね。
ドーハのブックフェアーでは、何でもやりました。映像の編集から、スケジュール調整、お祈りの時間にトラブル対応したりと何でもやりました。走り回りました。そして、全然仕事ができなくて、沢山怒られました。
具体的な方法論を教えてもらったわけではないですが、2週間櫻井さんにつきっきりでいたので、櫻井さんの立ち振舞から言葉の使い方、考え方を体感させてもらったのが大きかったです。自分がプロデューサーという仕事に興味を持ち始めたのはこの頃。
プロデューサーの仕事は公私混同であると。好きなものを好きと言って、それに対して誠実に、色んな人に語り続けながら動いていくことが仕事になるんだ。そう思わせてくれました。
そしてドーハに行ってなによりよかったのは、自分が海外に対して日本文化の発信者になれたこと。その原体験は今も自分を支えています。自分が将来やりたいと思っていたことが、この2週間でより現実的になりました。
続きます。
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