先日、和歌山で新宮でお会いした田斉省吾君(@youyou_ziteki)。彼は、早稲田を3年時に休学し、新宮のNPO「山の学校」でインターンをしている。僕は彼の活動が、これからの若者の1つのロールモデルになるんじゃないかと思ってます。今回は、その田斉君にインタビューをしてみました。別に海外なんか出たくないけど、日本の可能性を模索したい、農業をやりたい、地域興しをしたい、なんていう人は、是非読んで貰いたい。僕らのような若者の、これからの生き方のヒントが、彼の体験に詰まっている気がします。
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‖ 今行なっている活動を教えてください。
和歌山県新宮市のためになる活動・研究・調査を行うことと引き換えに、月5万円の活動費と食事・滞在場所を支給する「Think Shingu」という若者招聘企画に採用されて、現在NPO「山の学校」の嘱託研究員として同市内で活動してきました。現在は旧熊野川町で獲れたお米の売り上げのうち、半額を生産者に半額を中高生の支援に充てる「熊野川翔学米」という企画のスタートアップに取組んでいる真っ最中です。
01.「Think Shingu」との運命的な出会い
‖ なぜ、休学してその活動を選んだのですか?
おととし、高野孟というフリージャーナリストのゼミを1年間受講していたんです。千葉県鴨川の片田舎で、農的生活を暮らしながら、ジャーナリストとしての活動を展開しているいささか変わった人で、その先生に授業の内外(授業外というのは、居酒屋、鴨川の自宅etc)で刺激を受けました。それに連れて、「地方」や「農業」というテーマにかなりの興味が湧いてきた。
ただ、生まれてこの方20年。僕が暮らしてきたのは千葉県松戸市という典型的な都市郊外でした。だから、「地方」に関しても、「農業」に関しても、机上の知識しか持ち合わせがなかった。それがもどかしかったんです。興味とじれったさが募りに募り、「こんな複雑な感情を抱えたままじゃ、これ以上大学でおちおち勉強してられんな」と、そんな心境が日に日に深まっていきました。
実際に「1年間休学して、日本の地方にどっぷり浸かってみよう」と決意したのは、おととしの12月末頃だったと思います。休学先は予め決めていたわけではなく、日本の津々浦々で候補を探しました。そこで先ほどお話した「Think Shingu」に行きあたったというわけです。
元々僕の休学は全くもって「非戦略的」なものでした(苦笑)。「日本の地方にどっぷり浸かりたい!」という気持ちだけが先にあって、具体的な計画や将来の展望みたいなものは殆どなかった。いや、むしろ、予め計画をこさえていくのは嫌だったんです。既に内容が決まっているインターンや研修プログラムではなく、実際にある程度の期間暮らしてみるなかで、「やりたい」と思ったことにその都度取り組む…というふうに、ある程度自発性、自主性を尊重してもらえるところにお世話になりたかった。…ワガママにもほどがありますよね(笑)?
当然ながら、そんなワガママを許容してくれる条件の休学先は中々見つかりませんでした。そんな中、「Think Shingu」のコーディネーターで「山の学校」の代表を勤める柴田さんに理解を示していただけたのは本当に有難かった。相談したら「半年腰を落ち着けて生活してみて、残りの半年で取り組んでみたいことを整理する、というスタンスでいいんじゃないかな」と言っていただけて。ネットサーフィンで「Think Shingu」を見つけた瞬間、得体のしれない興奮を覚えたのですが、本当に運命的な出会いだったと思います。
結果的にではありますが、春先の漠然とした期待より遥かに充実した学びを得ることができた1年だったと思っています。じいさんになって、自分の生涯を振り返った時に、この1年なくして自分の人生は語り得ないんじゃないか、それくらい大きな1年になりました。
02.この休学で社会人に脱皮できた。
‖ ここ1年で、気付いたこと、変わったことを教えてください。
おととしの東日本大震災は個人的にかなり衝撃的な出来事で、あれ以来、今日本で本当に問題とすべきことは何なのか、そして自分には何が出来るんだろうかということを一から問い直すことを始めました。でも、途中からそれがだんだん胸糞悪くなってくるんです。真剣に考えてるつもりにも関わらず、どうにも自分の考えが「宙に浮いてる」感じがしました。当時、理由は全く分からなかった。
それが、ここに来ることで、世界の中で自分の立ち位置が定まることで、人は初めて「自分ごと」として世の中の問題を引き受けられるのだということに気づけたんです。
おととし受けた、高野先生のゼミでは、一番最初に自己紹介がてら「マインドマップを応用して、自分を表現してみろ」ってことをやるんですね。
※高野先生の模範作→ http://www.the-journal.jp/contents/takano/takano-iden-thumb.jpg
今、この作業を振り返ってみて気づくのは、「いかに自分に社会性がなかったか」ってことなんですよ。
というのも、書き入れたネタの殆どが学校生活に関わることだったんですね。こうこう、こういう部活をやってたとか、勉強の関心はどんなだとか。学校外の社会との関係がほとんどないんです。
自分の生活の中心になる地域があって、所属する組織・コミュニティがあって、様々な背景を持った知人との拡がりをもったネットワークがあって…そういった社会との諸々の繋がりの中に生きることで、初めて思考の具体性や切実さって出ると思うんです。技能や知識もただ持ってるだけじゃ活かせない。社会との関係性の中ではじめて活かすことができる。
一介の学生として出来るのは「何をしたいか、何が出来るか」をおぼろげながらに考えることまでで、具体的に行動し、そのおぼろげな考えを地に足ついたものに軌道修正できるのは学校外の社会に実際に飛び込んでみてからの話。そんなある意味当たり前のことが分からずに、学校社会の中に留まりながら「自分に出来ることはないか、出来ることはないか」って考え込んでしまっていたから、もどかしさが募った。だからこそ休学に踏み込んだんでしょうね。僕は身分こそまだ学生ですが、この休学で社会人に脱皮できた。そう思っています。
田斉君の活動は、地元の新聞紙にも大きく取り上げられている。
03.収入の多寡で人生の価値を図る時代の終焉
‖ 復学後、卒業後はどんな人生を歩んでいく予定ですか?
卒業後は新宮市のどこかしらの集落で「就村」したいです。そこで、自給農を軸としつつ、ジャーナリズムや歴史教育など自分の興味関心のある分野だったり、田舎のこまごました雑用仕事だったり複数分野で現金収入を得ながら暮らしていく。また、その合間をちょこちょこ縫って、仕事で達成できない社会貢献や趣味にも取り組む…そんなライフスタイルを一歩一歩確立していきたいな、と思っています。
兼業でやりたいのは、自分のペースで妥協せずに仕事がしたいからです。1つの職業にのみ収入を頼っている状態だと、「自分の仕事に対する理想やこだわり」と「食いぶち」の2つを天秤にかける局面にぶち当たったとき「食いぶち」を選ばざるをえないじゃないですか。自らが個人事業主である収入源を複数持てば、その矛盾が解消できる。余裕が生まれると思うんです。また、こういう働き方であれば、仕事外の趣味とか、家族との団欒とか、非営利の社会貢献活動とかとの折り合いも比較的柔軟にできますよね。兼業スタイルだと大して稼ぐことは出来ないでしょうが、単純に収入の多寡で人生の価値を図る時代はとうに終わりましたからね。自分はどれくらいの現金収入があれば健やかに生きていけるのか自分なりの基準を持って、その額をきちんと稼げればいいんです (この話に興味を持った方は『ナリワイをつくる』という本をぜひ読んでみてください)
04.「地方・田舎」×「兼業&個人事業」×「自給農」という生き方
僕は「自給農」という基盤の上に、この働き方を実践したい。仮に全部の金銭収入が断たれても農にある程度しっかり取り組んでいれば、文字通り「食っていく」ことは出来ますから。もちろん、そういった状況に見舞われることなんて滅多にないでしょうが、「自給農」という基盤があるのとないのとでは心の余裕は恐らく全然違いますよね。
「自給農」と「兼業&個人事業」はあえて区別しています。今から約1万年前、人類が農牧をはじめて文明を築き始めて以来ずっと、圧倒的大多数の人々は農に携わりながら生きてきた。本来、人と農ってすごい身近な関係で切っては離せないものなんじゃないか。それが急速に乖離してきている戦後のこの数十年ってちょっと異常なんじゃないか。
僕の関心が「農業」や「地方」に向いたのは、歴史を学ぶ中で、ふと湧いた、この素朴な疑問が始まりなんです。だから、この原点は絶対に大切にしたい。
僕は、経済成長社会の先を見据えた備えを新宮の皆としていけたらと思っています。経済成長社会の先を見据えた備えというのは、平たく言えば、今のお金に頼り過ぎな状態をちょっとずつ見直していって、ちょうどいい着地点を探っていきましょうよ、ということです。お金に頼り過ぎな状態を見直すというのは、経済力が落ち、個人の収入が減ってもいいように、あるいは税収が減って国の諸々の補助が減り公助が先細ってもいいように、もうちょっと個人で自活できる力をつけていきましょうよ、共助の厚みをつくっていきましょうよ、ということです。その着地点を模索するのに、「地方・田舎」×「兼業&個人事業」×「自給農」という生き方は僕にとって一番しっくりくる形なんです。
「自給農」以外の部分を具体的にどうするの?と聞かれると、現段階でははっきり固まっていない部分が多いです。格好はつきませんが、正直に「決まってません」と言わせてください。ただ、漠然とではあるのですが、「ジャーナリズム」や「歴史教育」、「若者支援」、「日中交流」など、取り組みたい分野は決まっています。とりあえず「就村」して自給農のサイクルを確立することに最初の1,2年は重点を置く。その傍らで、地元紙の嘱託ライターや塾の講師なんかを兼務しながら現金収入を得つつ、新宮の現状をより深く知り、現地の人との関係を拡げて行く。そうして、やりたいこと、できることを徐々に明確にしていって、「創業」を目指す…っていう、そういうスタイルを今は考えています。
今年の4月には一旦東京には帰りますが、新宮市にはちょくちょく顔を出すことになると思います。在学中は柴田さんにだいぶ頼る形にはなりますが、「熊野川翔学米」には継続して取り組むつもりです。また、新宮周辺に暮らしている人ともっとたくさん知り合いたい。特に新宮の学生や保護者と繋がれたらな、と思っています。
その仕掛けとして、今、地元の塾の経営者の方と、塾報に現役大学生としてコラムを書かせてもらったり、夏場だけ臨時講師として出張らせてもらう相談をしています。特定の塾の子だけと接点を持つのも何なので、中高生とその保護者対象の「キャリア」をテーマにした雑誌・フリーペーパーなんかも創ってみたい。今回、青木さんをお呼びしたような、大学生と地元中高生の交流事業も断続的に企画するつもりでいます。
他にも衣食住に関係する力は意識して鍛えたいし、学生の仲間を増やすことも大切にしたいです。
あと、座学をガッツリしておきたい。…実はもう1年間休学しようと思ってるんです。今まで述べてきたことも基本的に並行してやっていくつもりなんですが、+1年の休学期間は座学を重点的にやりたい。今、自分なりにつきつめて考えてみたいことがあふれていて、多分、それは2年間じゃ回収しきれないと思うんです。また、青木さんみたいに日本の内外を広く見てきたいと思いも最近出てきました。
この1年の休学で、東京でガツガツ就活するという可能性が事実上消滅したこと、社会に出る時期に多少早い遅いのズレが出ることは全く問題ではないなと思える心境になったことは本当に大きいなと思っています。あっ、ただ、遅くなりすぎるのは嫌です。新宮の動向に付いていけなくなったら癪ですからね。
田斉省吾 1992年生まれ。千葉県出身。早稲田大学文学部日本史コース3年。大学入学後、ジャーナリストの田原総一郎氏が塾長を務める「大隈塾」を受講。そこでの学びから「地方」や「農」といったテーマへの関心を深める。2年次末に「農山村留学」を決意し、2012年度、大学を1年間休学。和歌山県新宮市の西敷屋という集落で生活を営む。 Twitter: @youyou_ziteki Facebook: 田斉省吾
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インタビューを終えて
「休学をする。」大学の後輩からは、休学して何かをする、というのがある種のステータスになっていると聞きます。休学は、誰にも責任を押し付けることができない、自分で責任を取らなければいけない、結構リスクがある行為だと思います。
ただ、以前言った通り、本当にやりたいことがあるならば、休学することが本当に必要ならば、1つの選択肢として持っておいていいんじゃないかと思います。大学を4年間で卒業しなくてはいけない、なんてないし、そんなことで自分の大学生活を縮めてしまうのはもったいない。
以前、オーガニックをテーマに世界一周をした夫婦にインタビューをしました。面白いな−と思った方、この活動をもっと知ってほしいなーというのを、ピックアップする。それもこのブログの1つのあり方だと思っていて、今回は和歌山県新宮市にあるNPO、ThinkShinguで活動している田斉くんにインタビューをしました。
田斉君の印象は、いい意味で、肩の力が抜けているということ。(人前で話す時は除く笑)日本人、特に都心にいる人にとって、「生きる=稼ぐ=食べれる」っていう図式があって、食べるためには、お金を稼がなきゃいけないんです。僕もそう。
ただ、田斉君、新宮にいる人達には、食を自分たちで作り、食べてきた経験がある。生きていくということに対して、必ずしもお金に依存をしていない。そういう原体験があるからこそ、生きることを前向きに、心に余裕を持って生きていくことができる。
冒頭でも書いたのですが、田斉君の活動は、今後の日本の若者の1つのロールモデルになるんじゃないかと思います。都心に出てきたらこそ、見える世界があって、だからこそ地方でできることがある。共育学舎がその場を体現していますが、田斉くんは、自身のバックグラウンドを上手く新宮という地で活かしているなーと。
これからは地方の時代だ、といっている人も多いですが、実際に今動き出している人たちが増えてきている。若い人だからこそ、地方で勝負できる時代が来てるんだと思います。
青木 優
▼共育学舎に行ってきました。
▼オーガニックをテーマに世界を回ったご夫婦にインタビューしました。