マニラへの出発当日、朝7時半に目が覚めて、シャワーを浴びてパッキングを始めた。海外を転々としていたせいで、パッキングには慣れていた。本当に必要なものは意外と少ない。パスポートと財布とMacとiPhoneとカメラ、各種充電器と数日分の着替えを揃え、後は自分のサイトの旅の持ち物を見ながら、荷物を詰めていく。必要な物があれば、現地で調達すればいいし、案外それがなくてもなんとかなるからだ。
9時20分に家をでて、借りたけど見れていないDVDをTSTAYAの返却ボックスに投げ込み、請求書を郵便ポストに入れて、駅に向かった。家から駅までは10分程度なのだが、重いバックのせいで、いつもより時間がかかり電車を一本逃してしまった。まず、これがまずかった。むしろ、この電車を逃さなければ全てが上手くいっていた。
新宿に向かう電車の中で、乗換案内を使いルートを立て直す。家でゆっくりしたせいで、フライトまでギリギリで焦っていた。本来使う予定のルートを変えて、神田、日暮里乗り換えで行くことにした。乗り変えは上手く行ったのだが、京成線で成田行に乗った時に油断してしまった。Webチェックインを電車で済ましていているうちに乗り換えるはずだった京成高砂を乗り過ごし、小岩に来てしまったのだ。小岩で再度ルートを建てなおすと、総武線からでていることがわかり、駅を飛び出した。
しかし、改札をでても総武線が見当たらない。駅員に話を聞くと、愕然とした。そう、自分が乗ってきた小岩駅(京成)と小岩駅(JR)は実は違う駅で、その2つの駅の間には徒歩20分の距離があったのだ。ここでテンパって、京成線のわかりにくさに軽いいらだちを覚えながらも、線に戻っていく。京成高砂駅に到着して、スカイアクセス線が来るまで20分ほど待った。
JETSTARのサイトによると、チェックインカウンターは1時間前に閉まってしまうとのこと。僕の到着予定時間は11時50分。12時20分にフライトが出発なので、正直絶望的だった。久しぶりに瞬間移動ができたらと思った。
いてもたってもいられなくて、JETSTARに電話をした。JETSTARの自動音声のゆったりさに焦りをつのらせ、コスト削減の徹底ぶりに関心しながらも、ようやくオペレーターに繋がる。落ち着いた声の日本人女性だった。現状を説明すると、Webと同じ答えが返ってきた。Webチェックインをしていて、預け荷物がない場合は滑り込みでいけるかもしれないとのこと。がんばってくださいね!という、励ましの言葉をもらい少し気持ちが落ち着いた。
京成高砂駅から、成田の第二ターミナルまでのかかる時間は45分。その間、Jetstarでマニラにいけなくなった時を考えて、ANAやJALでマニラ行きを検索するも、どれも往復14万を超えていて、アホらしくなり、他の国を経由してマニラに行く案にした。シンガポール、ジャカルタ、バンコク、マレーシア、台北を調べても、やはり当日で手頃な便は中々ない。唯一あったのがAirAsiaを使ったソウルで、価格も1万3000円と安い。これにしよう。調べていて、なんだか楽しくなっている自分に気付き、笑えてきた。
11時53分に第二ターミナルに到着し、全力で走った。4分程度で3階の出発階につき、インフォメーションにJETSTARの場所を確認をし、JETSTARの窓口に走りこむ。幸運なことに、まだスタッフがそこにいたのだ。時間は12時00分。本来であれば、完全にアウトな時間である。
モニターを見ると、ある文字が写った。
12:20→13:00
遅延。LCC特有の遅延である。初めてLCCの遅延に感謝をした。良かったー、と心から思った。そして、チェックインを済ませ、イミグレを通り、無事飛行機に乗ることができた。
最後まで諦めないこと、そしてもっと時間に余裕を持って行動することを痛感したマニラフライトだった。
フライトからの景色がとても綺麗で、これだけでマニラに向かった価値があると感じた。
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今回のマニラは仕事ではなく、休暇である。久しく海外にいっていなく、どこか思考が縮こまっている感じがしていて、それを切り替えたくなった。ああ、このままじゃマズイなーというのが誰しもあると思うが、そんな状態だった。以前ブログに書いたダハブに行け、じゃないが、環境を一旦に日本から変えることで、なにか新しいものが見える気がした。
フィリピンに決めた理由はいくつかあり、その中でも兄弟の存在が大きい。フィリピンに二十歳の弟が働いていること、中2の弟が留学していて、彼らをけしかけた張本人が行っていないのもどうかと思ったからだ。ともかくも、久しぶりの海外を楽しみ、旅の軌跡を書ける範囲で綴っていきたい。
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