初めていったバックパッカー旅。カンボジアアンコールトム。
世界一周や旅という言葉に触れたのは、Twitterでした。それまで自分は海外や日本で旅をしたことがありませんでした。大学3年の9月にタイ、カンボジア、マレーシアに、初めてバックパッカーとして行きました。
タイ、カンボジア、マレーシアにした理由は、カンボジアのアンコールワットを見てみたかったからです。あとは、その周辺をぶらぶらしてみたかった。何が起こるかわからないけれど、とにかく行ってみたくなってしまって。その時はどこでどうやってチケットを購入していいかわからなかったので、新宿のHISでチケットを購入しました。確か羽田タイ往復で6万くらいだったと思います。
この旅がすごく楽しかったんですね。iPhoneを寝ている間に盗まれ、タクシーの運転手とオオモメしたり、マラッカで黒い犬に追いかけられ、深夜に警察署に行ったり、、散々なことがあったのですが、それ以上に新しい国に行って違う国、文化に触れるのが楽しくてしょうがなかったんです。
実際に周ったルートが黒です。南米はお金がなくて行けませんでした。
2週間のバックパッカーの旅を終えてから、日毎にもっと海外を見て回りたいと思うようになりました。将来何かするにあたって、海外を見た経験は必ず役に立つだろうと。そう思っていくうちに、世界一周という言葉にも現実味が帯びてきていて、同じ年の12月に休学をしようと決めました。
実際に、7ヵ月間かけて18ヵ国を巡りました。元々世界でビジネスをしたいと思っていたので、ただ海外を周って終わりというのはしたくなく、せっかく行くなら、旅の後につながる何かをしたいと思っていたんですね。純粋に海外周りたいという感情と、手段としての感情の両方がありました。
旅の企画を作り、色んな大人の方、企業に対し話をしました。その企画の1つのテーマが、例の「世界にある日本を見る」。この軸で世界を周ることで何か見えるんじゃないか、何か掴めるんじゃないかと思いました。
イタリアのルッカのイベントにて。気温は10度以下でした。
大学の講師が話していたように、日本の文化は世界中で多く受け入れられていました。例えば、イタリアのルッカで行われた「Lucca – Comic & Game Festival」というイベントに参加したのですが、そこに売っていた漫画やゲームの6~7割は日本のものだったんです。日本の漫画やアニメのコスプレイヤーに溢れてました。
でも、そこに日本人が全然いなかった。そして日本の企業のスポンサーもない。日本の文化は受け入れられているけれど、日本人がそこでビジネスしていない。その言葉の現実を目の当たりにしました。
他にも海外で流行っている日本食屋に行ったり、多くの海外で活躍している日本人の方、漫画やポケモンを北米に輸出したサムライみたいなバケモノ経営者の方にお会いし、まだまだ日本発信の可能性があると感じました。将来、日本の文化を世界に広げるビジネスをしたい、そう決めたんですね。
続きます。
世界一周の体験記はこちらです。
訪日メディア「MATCHA」を立ち上げた経緯
0.訪日外国人向けWebマガジン「MATCHA」を作った経緯
1.明治大学国際日本学部
2.ブラックなインターン
3.Twitterで広がった世界
4.約7ヶ月の世界一周
5.ドーハ国際ブックフェア‐
6.世界一周後の日本めぐり
7.augment5 Inc.
8.訪日メディア「MATCHA」の着想
9.起業の準備とMATCHAのスタート
10.訪日メディア「MATCHA」のこれからについて
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